2013年。ノリエガ改めN.O.R.E.に取材したことがある。インタビュー半ば、打ち解けた頃を見計らって、こう問うてみた。
 「東西抗争って覚えてる?」

 もちろん、忘れるはずがない。彼とて、その対立劇の中にいたのだから。東海岸側を代表する一員として。

 90年代。ヒップホップ界には「東西抗争」というものがあった。つまり、「西海岸(ウェストコースト):ロサンゼルス、コンプトン、ロングビーチ他」vs「東海岸(イーストコースト):主にニューヨーク」の対立である。
 ことの起こりはNWAと言ってもいいだろう。映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』で描かれたように、アルバム『Straight Outta Compton』のサプライズ・ヒットと、続く『Niggaz4Life』の驚異的チャートアクションは、これまでウェストコーストのハードなヒップホップを敬遠していたレコード会社の目を開かせた。勢い、業界は「ネクストNWA」の発掘に躍起になる。
 これが90年代初頭の状況だ。
 割を食ったのが東海岸のラッパーたち。彼らに訪れたのは、メジャー系レコード会社に無視され、拒絶される日々だ。業を煮やしたブロンクスのラッパー、ティム・ドッグが発表したのが、かの西海岸罵倒曲“Fuck Compton”である。NWAのおかげで最注目のヒップホップ都市となったコンプトンをこき下ろす内容だった。
 当然ながら、この曲には西海岸アーティスト――コンプトン出身だけでなく――からの報復ライム攻撃が集中する。
 このようにして始まったのだ、East Coast-West Coast hip-hop rivalry、つまりヒップホップ界の「東西抗争」は。

 とはいえ、アイス・キューブに続いてドクター・ドレーも失ったNWAは解散状態となり、所属レーベル「ルースレス」の勢いも衰える。同社にかわって「西海岸の覇王」的存在となったのが、件のドクター・ドレーがシュグ・ナイトと設立したデス・ロウ・レコーズだ。このデス・ロウの成功はルースレスのそれよりもスケールが大きいもので、勢い、90年代半ばの西海岸は「ヒップホップの一大中心地」の様相を呈する。
 だが、その頃になると、一時期は劣勢とされた東海岸のヒップホップも、ナズやウータン・クラン、モブ・ディープら新世代の活躍により、人気を再燃させていた。「イーストコースト・ルネッサンス」というやつだ。そんな中に台頭してきたのが、パフィ/パフ・ダディことショーン・コムズのレーベル「バッド・ボーイ・レコーズ」である。
 ロサンゼルスを本拠地とするデス・ロウにはスヌープ・ドッグや2パックがいて、ニューヨークのバッド・ボーイにはクレイグ・マックや「ビギー」ことノトーリアスB.I.G.がいた。そしてどちらも「カリスマ的社長に率いられる、ストリートなアティテュードとコマーシャルなヒット性を兼ね備えたヒップホップ・レーベル」だった。その意味で、この2レーベルは東と西に別れて生まれた双子のような存在であると同時にライバルであり……結果的には不倶戴天の敵となった。  94年に起こった2パック射撃事件。これを、縁浅からぬノトーリアスB.I.G.とパフィの差し金と誤解した2パックは、ノトーリアスB.I.G.の曲“Who Shot Ya?”も同事件を題材にした自分への中傷曲と解釈してしまう。
 あれやこれやで東西対立は激化。NWA脱退後に「東寄り」と見なされることもあったアイス・キューブですら、ウェストサイド・コネクションを結成して抗争に身を投じる一幕もあった。  この文の最初に紹介したノリエガは、Capone-N-Noreaga時代に、“L.A., L.A.”という曲をリリースしたことがある。同曲は、デス・ロウの「ドッグ・パウンド」によるニューヨーク中傷曲“New York, New York”への返礼だった。“New York, New York”は、巨人となったスヌープ・ドッグがニューヨーク市内のビルを壊して回るビデオが印象的なアレだ。
 だが、そのドッグ・パウンドのメンバーであるKuruptは実のところ、東海岸はペンシルヴァニア州フィラデルフィアの出身なのだ。10代半ばにしてカリフォルニア州に引っ越し、以後の活動拠点は確かにLA近辺だが。
 理性的に考えればわかることだが、いくら「地元志向」と「郷土愛」をポリシーとするヒップホップ界に身を置くものとて、親(とは限らないが)の都合による引越しは避けられない。そして、他の都市から移住してきた人物がその地域を代表することになるという展開も、往々にして起こる。
 旧名「MCニューヨーク」、我らが2パックもそうだった。一連の抗争がアイロニックに見えるのは、この事実ゆえでもある。